忖度できない人は海外向き?

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いま話題の忖度ですが、我が家でも問題になっています。夕食後、片づけをしようと席を立つと夫が空のコップを差し出すのですが無言。「なんやねんな」と聞くと「忖度して」と。

誰が忖度なんかするかァァァァァ-----ッッッщ(゚□゚#)щ

「言いたいことは口で言え(゚Д゚#)」とキレておきましたが、「アンタは絶対そういうと思った(^-^*)」とご満悦の様子でした。ドMか。しかしよく考えたら、日本にいるころから忖度したことないな、というか、わたし忖度できないなッ!と気づいてしまいました。夫は気づいていた模様。そしてからかわれるわたくし。

でも忖度できない方が海外では生きていきやすい気もします。

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「空気読む」=「忖度」?

そういえば「空気が読めない」ともよく言われるんですよね。でもそれについては反論したい。空気は読めないんじゃなくて「空気を読む気がない」だけなんです。

「空気を読む」とは

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わたしが思う「空気を読む」とは、「複数人が場にいる中で、各々の社会的・情緒的関係性を把握し、自らの立ち位置を定め、社会的常識に鑑みて妥当と思われる行為を行うこと」なんですよね。「社会的常識」というのは「複数人が集う場の常識」でもあります。社会通念上正しいとは限らない。

たとえば「男性ばかりがいる職場の飲み会で、女性一人だから率先して食事を取り分ける」とかね。誰がするか。

だいたい飲み会の食べ物を取り分けるのも、取り分けされるのも好きじゃないんですよ。好きな物を好きなタイミングで好きなように食べたい。自分の意志で頼んだものでもないのに、みんな平等の量だけ取り分けされるのとか、なんでそんな不条理を押しつけられなければならないのか。ちっとも分からん。

足りなきゃもう一皿頼めばいいし、余ったなら頼んだ人が責任もって食えって話です。割り勘にするから平等に食べなきゃとも言われますが、わたしは酒量が多いので食べなくても元が取れるからいいんです。むしろ多めに飲む(あるいは高い日本酒を飲む)ことがあるので、多めに支払うこともよくあります。そりゃ飲んだんだから当たり前。

空気を読む上で「社会的常識に鑑みて妥当と思われる行為」が重要かと思うのですが、わたしは「社会的常識に鑑みて妥当と思われる行為」に納得が言ってないので、それに従いたくないわけです。だから自分のポジションを把握してようがしていまいが、自分が納得していないことはしたくない。

「忖度」とは

一方、「忖度」とは「2人以上の人が対峙した場合に、会話や仕草などから相手の要求・願望などを慮り、実現に向けて努力すること」だと思うんですよね。「複数人」である必要はなく、「社会的常識に鑑みて妥当」であるかどうかも関係ない。対峙している相手、あるいは相手方が望むことを読み取ることが重要。しかしこれができないんです……。

よく男女のカップルで、男性が「何が食べたい?」と聞いたのに対し、女性が「なんでもいい」と答え、じゃあと男性が牛丼屋に彼女を連れていくと怒られるという話があります。わたしもこれのなにが悪いのかよく分からない。なんでもいいのになぜ牛丼屋はダメなのか。牛丼も美味しいのに。半熟卵もトッピングで。

よくある例として、彼女は二人の雰囲気を重要視しており、がっつり食べることに重きを置いた牛丼屋はデートにふさわしくないと考えているので、長めに会話が楽しめてかつ彼女がほどほどに食べられる量で最後にはデザートが出るようなところがいいんですよね。

こんな定番なら簡単だけど実際はそうも行きません。その日の体調や先週までのデートコース、彼女の交友関係やSNSでの発信まで鑑みなければ、何が食べたいのかさっぱり分からない。

たとえば、彼女の友人の誰々ちゃんが彼氏とどこどこのレストランに行ったとインスタに上げていて、彼女がそれに「いいね」をしていたら「羨ましい」「わたしも行きたい」というアピールとかね。いや~無理だわ~。わたしには読み切れないわ~。

「忖度」は、相手方の属性や嗜好などを把握した上で、行間の間と言う間をほじくり返し、言葉の裏の裏の裏まで読み、腹を探り合う行為のような気がしてなりません。しかしお互いの考えが一致すれば、最小限のコミュニケーションで最上の結果が得られるとも言えます。

ただし前提となる相手方の属性や嗜好などを誤って把握している場合、結論も誤ることが多々あるのが難点。一歩間違えれば、気を利かせたつもりなのに「要望に沿っていない」と怒られることもあるわけです。気の毒に。

「忖度できない」から、「忖度してほしい」とも思わない

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わたしは基本的に人の言葉を文字通りにしか把握しないので、まったくと言っていいほど忖度ができません。前述で言えば、友人のインスタに「いいね」をしてれば、「いいね(^-^*)」と思ってるとしか思わないし、「なんでもいい」と言えば「牛丼屋でも高級フレンチでもなんでもいい」と捉えます。どちらかといえばボンクラな類の人間なんでしょう。

しかし自分で言うのもなんですが、忖度できなくていいところもあるんですよ。自分が忖度できないので他の人に「忖度してほしい」とも思わない。自分がしたいこともしてほしいことも、人に伝えたいときには結構はっきり口に出します。夫に「なにが食べたい?」と聞かれたら「○○が食べたい」と言いますし、「なんでもいい」と言ったときは本気でなんでもいい。ただ「○○が食べたい」と言ったのに、夫が「え~○○か~」と不満そうに言うときがあるので、おい、ちょっと待て。

でも空気を読むことや忖度することが当然だとされる日本では、はきはきと自分の希望を言う人はややずうずうしいと思われがち。実際たまに「遠慮しないね~」と言われることもあります。夫ではありませんが、「なにが食べたい?」と聞いてきた人に対して正直に「和食」と答えたときに「遠慮しない人だね」と言われたことがあるんですよ。なんたる理不尽。

忖度してくれない海外では「忖度できない人」は楽

日本だと言葉にならない言葉を汲み取らないといけない。逆に言いたいことは言えない。時には空気を読んで、意に染まないことをしなければいけない。小さなコミュニティから派生した社会を円滑にまわしていくためには、摩擦を避けるため「空気を読む」も「忖度」もある程度必要なスキルだと思いますし、言葉にならない言葉を汲み取ることは「思いやり」にもつながるのだろうと思いますが、できない人間にはツライ。

しかし海外、特に欧米では基本的に忖度してくれません。よく聞きますよね。言葉に出して伝えなければ、心情を汲んでくれないし希望も通らない。おかげさまで忖度できないわたしは、周囲を忖度する必要もないし、自分の意見を気兼ねなく言葉にできるのでたいへん気が楽です。

自分がのびのびと生きられる場所を見つけよう

ちなみに、外国人は空気が読めないのかというと、わたしは読めると思っています。たとえばいろんな国の人が集まるパーティや語学学校などで、彼らは積極的に話題を提供し、場を盛り上げようとします。それがその場における「社会的常識に鑑みて妥当と思われる行為」だから。

日本人はこういう場で、英語が上手くないからと尻込みをして日本人同士で固まったり、話しかけられたときにもへらへら笑ってごまかしたりする人がいますが、そういう行動の方がよほど「空気が読めてない」。空気を読んで行うべき行為は、場が持つ常識によってかなり変わってくるから、どこでも「空気が読める人」なんていないんじゃないでしょうか。

「空気を読む」も「忖度する」も、日本という国で生まれ育った人が小さなコミュニティの、さらに小さな小さな集まりの中で行うことだから、「空気読めない」「忖度できない」と言われても、そんなに気にしなくていいのかなと、ドイツに来て思うようになりました。

若いころは「変わり者なのかなぁ」と気に病んだこともありましたが、小さな小さなコミュニティを出てしまえば、常識が異なってくるから、自分が普通になれる場所や国があります。家族なんかは最たるものかも。家族に「変だ変だ」と言われ続けていても、一歩外に出てしまえば意外と普通だったり。

夫の仕事の都合で来たドイツですが、思いがけず合ってたんだなぁと思うこともしばしば。わたしのようにたまたま流れ流れてやってきたところが意外と合うってこともあるので、自分がのびのびと生きられる場所を探して、ぶらぶら旅してみるのもいいかもしれませんね。

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