「外国人」としてドイツに住むということ

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わたしはいま外国に住んでいます。道を歩けば外国人に会い、毎日が海外旅行のような気分です。しかしここはドイツ。ドイツに住むドイツ人にとってみれば、ドイツ人こそが自国人で、わたしが「外国人」なんですよね。当たり前だけど時々忘れそうになるので、「外国人」としてドイツに住むということについて改めて考えてみようと思います。

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容姿が目立って、良くもあり悪くもあり

移民の多いドイツですが、それでもアジア系の容姿は目立つようです。白い肌、金色の髪の人が多い中で、黒い髪、黒い目が多いアジア人はコントラストがはっきりとしているのでくっきりと見えるのかもしれません。たしかに、わたしもアジア人を見るとすぐ分かりますし、「お、アジア人だ」とちょっと嬉しくなります。仲間意識が芽生える。

しかし容姿が目立つことは良いこともあるけど、悪いこともあります。

容姿が目立って良いこと

容姿が目立って良いことは、覚えてもらいやすいことです。わたしが通っていた語学学校のクラスではいつも東アジア人が少なく、かなり早い段階で覚えてもらえました。日本だとよくいる普通のタイプなんですけどね。よく言われるのは「友達(あるいは親戚、昔の同僚)に似ている」です。どんだけゴロゴロいるんだ、わたしみたいな人は。

ちょくちょく近所のビアバーに飲みに行くのですが、アジア人夫婦は珍しいらしく、すっかり覚えられてしまい、最近では注文する前に「ピルスナーの大2つだよね?」と聞かれる始末です。ちょっと恥ずかしい。

まあでも好意的に覚えてもらえるのは嬉しいことで、目立つのも悪くないと思います。

容姿が目立って悪いこと

容姿が目立って悪いことは、悪目立ちすることです。ボンの、しかもうちの近所は留学生が多いこともあり、わたしと同じような外国人が多いのでそれほどでもないのですが、十数年前のベルリンではイヤな思いもしました。ベルリンでは中央部ではなく、外国人が少ない外れに住んでいたので。

歩いているだけでジロジロジロジロ見られたり、はっきり大きな声で「日本人(あるいは中国人)が歩いてるぞ」「国に帰れよ」と言われたりもしました。言葉が分からないと思って言っているのか、分かると思って聞かせるように言っているのかはさだかではありませんが、バカにするような雰囲気って言葉が分からなくても結構伝わるもんです。

当時のベルリンは失業率20パーセント以上。職を奪う移民、特に有色人種に対する反発感情が強かったころです。有色人種だけを襲う傷害事件なども起きていてちょっと怖かった。いまはベルリンもよくなったようですけどね。ボンでも一度だけ大声で罵られてビックリしました。

「外国人」だと一目でわかる外見は、悪感情を持つ人にとっては分かりやすい目印で、個人の個性など没してしまいます。いくら「わたしはそんなことしない」と言っても関係なく、「外国人」だからと一括りで判断されるわけです。

逆に言えば、日本に住んでいる「外国人」も同じようなことを経験しているのかもしれません。その「外国人」は日本にどんな印象を持つのだろうと想像すると悲しい気持ちになります。

常識を知らずに、恥をかく

わたしはパートナーも日本人なので、ドイツの常識を学ぶ機会があまりありません。たぶんいまだに間違ってしでかしてることも多い気がします。誰も正さないから。

以前、風邪を引いて電車に乗っていたときのこと。隣の老婦人が「どうぞ」と言ってティッシュをくれたことがありました。ちょうど鼻がぐずぐずしていたので、「ドイツ人って親切だなぁ」とありがたくいただきました。そしたらこれ、「鼻をすすってる音が不快」「さっさと鼻をかみなさい」というニュアンスの行動なんだそうですね。

うわーーーーっ!恥ずかしい!知らなかったので、ものすごくいい笑顔で「ダンケシェーン」とか言っちゃいましたよ!

いや「鼻をすするのはマナー違反」というのは本で読んで知ってたんですけどね。そんな「ずるずるぐずぐず」とひっきりなしではなく、時々「ずっ…………ずっ…………」ってぐらいだからいいかなぁって思ったんですよ。でもダメだったみたいですねぇ……。加減が分からん。この手の失敗はよくあります。

「外国人だから」でごまかす

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常識を知らずに恥をかくこともありますが、常識を知らない強みもあります。特に失敗したとき。「いや~知らなかったわ~ハッハッハッ!」と日本人であることを利用し、笑ってごまかします。

欧米で「笑ってごまかす」は失礼という人もいますが、わたしは欧米人でも笑ってごまかしている姿をよく見かけます。会うことが多いのが研究者とそのパートナーだからなんですかね。ビジネスの場だと違うのかも。ただし「くすくす」「へらへら」でなく「ハッハッハッ!」と勢いよく笑う人が多いです。「くすくす」「へらへら」はバカにした感じに見えるそうなので気をつけましょう。

あと都合いいときだけ英語もドイツ語も分からないフリをすることもあります。不審な人にお金をせびられたときとか。以前ドイツ語で話しかけられて、英語で「ドイツ語は話せない」と言ったら英語で言いなおされたことがあるんですよ。すごいな、不審な人! それ以来日本語です。

「日本人」を強く意識する

ドイツにいると自分が「外国人」だと自覚すると同時に、自分が「日本人」だというのも強く意識します。会う人ごとに「日本ではどうなの?」とか「日本人だったらどうするの?」と聞かれますし、街を歩けば否が応でも周囲の人と自分との違いを認識するので、段々すりこまれていく感じ。

日本に住んでるときも、なんとな~く日本人だとは思ってましたが、日本以外のドイツという国に住むことで自分が「日本人」だと客観的に見れるようになった気がします。また「日本」の良いところや悪いところも考えることが多くなりました。面白い。

逆輸入で日本を観光する

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日本人だということで気を使ってか、いろんな国の人が日本を褒めてくれます。「富士山で見た御来光は美しい!」「京都の清水寺はすごいね!」「山形の山寺からの眺めは素晴らしかった!」とか。え、日本人だけどわたし見たことないわ……みたいなことを言うわけです。あまりに一生懸命褒めるし、写真を見てるとどんどん行きたくなってくるんですよね。

ということで、富士山、清水寺、山寺は観光してきました。逆輸入情報です。ある意味、インバウンド。どうでもいいけど、インバウンドなんて「海外からの観光客」って言えばいいんじゃないですかね。ま、さておき。

ドイツから日本を訪れると、外国人気分で観光ができて面白いです。日本再発見みたいな感じ。ドイツに住むことで、ドイツも日本も「外国」っぽく楽しめます。

まとめ

「外国人」になることで、自分や日本について客観的に考えることができるようになったのは大きな経験です。ドイツと日本、どちらがいいという訳ではなく、どちらにもいいところがあり、どちらにも問題がある気はします。また、日本に住んでいる「外国人」について考えることもよい機会でした。

ぜひ海外に住んでほしい!というわけではありませんが、もし日本で行き詰っているなら海外に長期滞在してみるのもいいかもしれません。新しい自分の居場所が見つかるかもしれないし、もう一度日本が好きになれるかもしれない。

多様性は可能性を育むものです。「外国人」は自分にとっても社会にとっても、大きな可能性になるのではないかと思っています。

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