お互いをさらっと手助けできる街 ドイツ・ボン

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でこぼことした石畳、道路の波打ち、段差のあるバス乗降口などなど。ボンの街にも物理的なバリアはたくさんあり、決して車いすの人や視覚障害のある人が暮らしやすいとは言えません。しかしこういった人たちをさらっと手助けしてくれるのもボンという街です。

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パンクロッカーな青年たちが率先して手助け

わたしが見かけた中でもっともインパクトに残っているのは、パンクロッカー風な青年たちです。年はおそらく20~25歳くらい。赤や緑に髪を染めて立たせ、鋲を打った革ジャンを着て、耳や鼻にはたくさんのピアスをしています。眉もあったりなかったりで、かなりの強面。彼らが4~5人でバスに乗り込んできたときには、「ちょっと怖そうだな……」と思っていました。

彼らが乗り込むと、乗降口に車いすの女性がいるのが見えました。彼女は近所に住んでいるらしく、同じバスでよく見かける人です。乗降するときには周囲の乗客に声をかけて手伝ってもらっています。

わたし以外にも彼女に気づいた人たちがいて、さて手伝いに行こうかと腰を上げると、くだんのパンクロッカー風青年たちの一人が彼女に気づきました。乗り込んだばかりで乗降口に背を向けていたから気づいていなかったようです。

気がついた彼が友人に声をかけると全員がささっとバスを降り、車いすの四隅を持ってひょいっと彼女をバスに乗せました。車いす専用の場所まで彼女を連れていくと「Danke(ありがとう)」「Bitte(どういたしまして)」と軽く言葉を交わし、あとは何事もなかったかのように座ってのんびりしています。

その後、数駅先で彼女が降車ボタンを押すと「よしきた。任せろ」と言わんばかりに立ち上がり、さささっと彼女を手伝ってバスから降ろし、また何事もなかったかのように席に戻りました。

いい人……!!

見た目だけで怖そうな人たちだなって思ってしまって猛省。そしてその日は一日なんだかいい気分になりました。その後、彼らほど外見にインパクトがある人たちはいませんが、一見ちょっと悪そうに見える青年たちがむしろ率先して手伝う姿もよく見かけます。

手助けに慣れていて、過不足がない

また別の日にはこんなこともありました。

ボンの街は道路があまり広くないため、道沿いのアパートを工事する場合には歩道や道路を封鎖してしまうことがあります。特に屋根の工事なんかは危ないので、大回りして通らなければいけません。

そこに白杖を持った女性が通りかかりました。彼女は近くに住んでいるようでスーパーなどでもよく会います。長く住んでいるのか、いつもは慣れた様子で道を歩いているのですが、この日は道路が封鎖されてしまったので、少し立ち往生していました。すると、近くにいた人が「一緒に行きましょうか?」と声をかけ、女性が「お願いします」と答えると、「じゃあ、腕を持ちますね」と言って上手に介助しながら歩いていきました。

おお、すごい。

以前、視覚障害のある人が「親切にしてもらえるのはありがたいけれど、いきなり体に触れられるとすごく驚くので、一声かけてから介助するようにしてほしい」と言っていたことを思い出しました。昔、様々な身体的障害を疑似体験するという研修を受けたことがあるのですが、たしかになにも見えないときにいきなり体に触れられると、なにをされようとしているのかちっとも分からず、かなり不安になるんですよね。親切なのか、悪いことをされようとしているのか。見えないと判別できないんです。

彼女を手助けをした人はきっと、どこかで手助けの仕方を教わったんだろうなぁと思います。他の人たちも手助けがオーバーでなく、ちょうどいいぐらいの過不足ない感じです。もしかしたら学校などで手助けの仕方をならうのかもしれません。

「手伝って」の一声で自動的に動き出すドイツ人

ドイツ人の皆がみな、障害がある人に対して積極的に声をかけるわけではありませんが、「手伝って」と言われた場合には近くにいる人がさささっと動き出します。「いいこと」をしようという気負いや照れ、「誰か他の人がするんじゃないか」というためらいのようなものもなく、ただただ自然に、ほぼ自動的に動き出すような感じです。

そして「手伝って」「よしきた」までの時間がめちゃくちゃ短い。わたしはドイツ語が上手くないこともあって近くに座っていてもよく出遅れるのですが、それにしたって周りの動き出しが早い。

手伝ってもらった人も「迷惑をかけて申し訳ない」という感じではなく、あくまでさらっと「ありがとう」とお礼を言う感じです。お互いに変な力が入っていなくて、見ていてとても心地いい。

「出来ないことを誰かが手伝う」ということが当たり前で自然なことなんだと感じられますし、もし自分になにかあれば手伝ってもらえるんだろうなという安心感があります。

障害のある人が住みよい街は、誰にでも住みよい街になる

治安が悪い国に行くと、手助けする風を装ってスリや強盗を働くということも少なくありません。実際、わたしもある国に行ったときに、親切にしてくれるなと思ったらスリだったということがありました。対策をしていたのでスラれませんでしたが、ドイツや日本と同じようなつもりでいるといけませんね。昔はもっと気をつけていたのに、ボンに来てからややのんびりしてしまいました。

逆に言えば、誰でも気軽に手助けができる・してもらえるボンという街はかなり治安がいいのだと思います。困っているときに差し伸べられた手を「この人はスリかもしれない」と疑うことはほとんどありません。

障害がある人や高齢者が不便を感じる物理的または精神的な障壁を取り除くことを「バリアフリー」と言いますが、バリアフリーを突き詰めれば障害がある人や高齢者だけでなく、誰にでも便利な街になるはずなのだそうです。ユニバーサルデザインへの発展ですね。

いまドイツのボンという街に来て、ああ、なるほどとこの言葉を実感中です。たしかに物理的にはまだまだ不便なところも多くあります。しかし心理的な面においては、障害がある人だけでなくすべての人にとって安心できる街だから、助けの手を自然に差し伸べることができて住みやすいのかもしれないなと。

パンクでロックな人も、障害がある人も高齢者も、お互いにさらっと手助けできるボンという街は、外国人であるわたしにとっても住みやすく、とても気に入っています。

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